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    ・11日に滋賀の多賀大社に行ってきた。
    今までずっと「国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、
    最初に生んだ淡路島多賀の地に幽宮(かくりのみや)を構えそこに鎮まった」と聞かされてきた。
    多賀大社にも同じ由緒があるらしいと聞いたので、
    親近感が沸き、訪ねてみようと思ったのだが・・・。
    「伊邪那岐命の幽宮遺跡は、滋賀県の多賀大社ともいわれている。『古事記』に「故其伊邪那岐大神者坐淡海之多賀也」(その伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり)、『日本書紀』には「伊弉諾尊神功既畢而霊運當遷是以構幽宮於淡路之洲寂然長隠者也」と記されている。淡海と淡路では大違いで今も論争となている。」

    実際、見てみての感想は特に何も感じなかった。
    ああ、こんなもんなんだなぁと。
    とりあえず、来たからにはとお賽銭をしたが、
    お守りは買わなかった。
    ずっと、伊弉諾神宮のある土地で育ち、
    守られてきたという思いがあるから。

    気になることがある。
    帰りに駅の待合室でパンフレットを見ていたら、
    多賀大社は徳川なんとかがお金?を出して、なんとかと。
    やっぱり、淡路が?と思った・・・が、
    今、ぐぐったら「元和元年(1615年)には社殿が焼け落ちてしまったが、およそ18年後の寛永10年(1633年)、将軍・徳川家光の命による再建が始まり、5年後に完成を見た」とあった。
    これを勘違いしたか。

    しかし、やはり伊弉諾神宮のお守りを肌身離さずにいよう。
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